ミャンマー考察ノート

ミャンマーで起業、現状の考察

中国、シンガポールで合計14年過ごした後、現在ミャンマーで起業。
海外と日本をいかにうまく繋げ、相互的に良い効果をもたらせるのか、
語学教育や職業訓練の面などから考察していく

生徒受け入れまでの道のり

生徒受け入れまでの道のり⑧

実際にフェイスブックでの広告は「Like!」 はたくさんつくけど、
問い合わせがほとんど来なかった。

1週間待ち、ようやく1件問い合わせが入った程度だった。

授業に参加したいというその方は実はインド人。
ミャンマーに出向してエンジニアとして働いてる女性だった。

ミャンマーの若者たちに色々チャンスを掴む手伝いをしたいという思惑から
少し違う状況になったと、 ジョーさんと苦笑する。

しかし、2週間たち、ようやく生徒が集まった。
たったの3人。そのうち1人は前述のインド人の女性である。

ところが面白いことに、授業が始まると決まって、人が集まり始めた。

生徒が生徒の紹介をしてくれて、最終的に6人になった。

開講は夜の6時から9時まで
社会人が中心となって集まってくれた。

それぞれ、日本で働きたい、日本に留学したい、日系の会社で働きたいという人たちだ。

ようやくこれで、小さいけど、一歩進むことができた。

授業は私とジョーさんで2人がかりで大切に教えている。

これからのミャンマーの大切な種を育てるつもりできちんと育てていこうと思う。


追記

今はたくさん問い合わせがあり授業時間の調整をしなければいけなくなった。
なるべくじっくりと育てていける体制を築こうと思う。





生徒受け入れまでの道のり⑦

一人目のスタッフが辞め、新たにフルタイムスタッフを一人、パートタイムを2人雇った。

これで合計スタッフ3名、マネジメントが私とジョーさんと2名で合計5名になる。

スタッフにはオリエンテーションとして日本のマナーと文化、生徒の見本になる事を伝え、
色々やってもらった。

しかし、一回で覚えるのは無理だと分かっているので、その都度、教えることにした。

幸いなことに、フルタイムで雇った女性、ゼンマさんは日本で4年間蕎麦屋で接客経験がある。

彼女にはスタッフの教育係として、他の若いパートタイムの子たちの教育に当たってもらう。

学校内の飾りつけや、備品などで足りないものはスタッフが固定してから劇的に改善した。

看板もパンフレット作製も同時に進めて、出来上がった。

看板は日本円で10000円もしなかったが、やはり質はあまりよくない。
文字や柄を張り付けるタイプで、直線なども歪んでいて、よく見ると作りも荒かった。

合成前


ブローシャは手作りで、3つ折りタイプにして、伝えたい基本的な情報はすべて書いた。
日本語で作り上げたものは下のようなもの

ブローシャ Japanese_01
ブローシャ Japanese_02


そして、2016年11月25日、まずは学校をオープンしたという告知と共に、生徒募集を開始した。

続きます。





 

生徒受け入れまでの道のり⑥

レッスンプランも終わりが見えてきて、ここからは日本にいったん帰り、
移住の準備をしながら最後の作業をする。

まず、教科書の見直し。
特に漢字が、ミャンマー人の中では難しいと思う。
あの難しい漢字を覚えるにはかなりの労力と、日々繰り返しの練習が必要になるだろう。

漢字はなるべく面白く、頭に残るようなものが良い。
色々な漢字教科書を見比べ、そして、楽しく授業中に学べるものを選択。

これで大体レッスンプランは出来上がった。

それから、看板とパンフレットの作成。
これはある程度アウトラインを決めて、現地にて社員トレーニングと合わせてやる事にする。

日本では、文房具なども買いそろえた。
やはりミャンマーでは日本ほど機能的に使える文房具が無い。

そして、2016年11月1日にミャンマーに渡り、社員トレーニング開始。

しかし、早速壁にぶち当たってしまう。
詳しくは下記。

ヤンゴンの就職事情~ヤンゴンで求人をしてみる~①



続きます。



生徒受け入れまでの道のり⑤

必要書類がそろった後に、最も重要な作業に入る。

それは、日本語レッスンプランだ。

ミャンマーに合わせて、ミャンマー人によく合うレッスンプランを作らなければいけない。

まず、ミャンマー語について文法がよく似ている。

これは非常に日本語を学ぶ上でプラスになると思った。
助詞の使い方も似ている。 

初回は、ひらがな、カタカナを重点的に覚える学習にする。
なるべくローマ字は使わず、日本語のみの直接法で、イラストをよく使うレッスンをプラン。

そして、1つのコースレベルに何時間費やすか?
平均したら200時間、それでよいのだろうか?

この学校の意義を考えてみた。

・必ず日本や世界で活躍できる人を育てていきたい。
・チャンスをつかめなかった人に夢を与えたい。
・スキルを向上させたい。
・絶対に脱落者は出さない。

ゆっくり時間をかけて日本の世界に通用するマナーも文化もきちんと教えていきたい。

1つのコースレベルを終了するのを210時間に設定した。

教科書はわからないまま進めない。
生徒全員と向き合ってレッスンができるようにしたい。

そのためには、210時間、このミャンマーでは長すぎるレッスン時間に設定した。

じっくりと「読む、聞く、書く、話す」 を重視したレッスンにしていく。
教科書は日本に住む人を意識した教科書を採用。

ここまである程度レッスンプランを立てて、あとは実践でよりよいプランになっていくように
プランを自由に変更しやすい形にした。

ここまで約1か月、学校に泊まり込んでの作業でようやく終わりが見えてきた。


続きます。




 

生徒受け入れまでの道のり④

資料作成において、私が日本で準備していたのは下記

・従業員契約書
・学校案内
・学校のルール
・学校生徒登録書
・カウンセリングシート
・日本語試験
・教科書  等

これらで必要なものを順次ミャンマー語に変更していかなければいけない。
しかも、契約書などについては、ミャンマーの法律に合わせて再度作成が必要になるかもしれない。 

契約書以外については、ジョーさんに読んでもらい、ミャンマー語化する。
流石に現役の教師をしていて、教育学をマスターしただけあり、適切なアドバイスと共に
完璧に作り上げてくれる。

契約書は、ジョーさんの友人で学校長をしているという方が見てくれた。
ミャンマーに合わせて、立派なものを作ってくれた。

契約書で気を付けた部分は、
仕事を辞める場合、その報告時期を何カ月前にするかという事。

私たちはあえて3カ月にした。
従業員の教育に時間をかける事に覚悟したからだ。

そして、研修期間も3カ月にした。
3か月使えるかどうか、じっくり見て、使えなかったら辞めてもらっても大丈夫。

実際に最初から学校の仕事があまり合わないと感じたスタッフは、3か月という長い報告時期に
抜け道を探し、体調不良を理由に辞めてしまった、学校の仕事が好きなスタッフは、特にストレスも
感じずにやってくれている。

ざっと見た感じだが、ミャンマー人は仕事を結構変えている。しかも数カ月単位で。
なので、この決断は間違っていないと信じたい。

そして、もう契約書で一つ気を付けた点は、
きちんとパートタイムかフルタイムか契約書に明記して、
パートタイムの場合は、日給制にしたこと。

これはミャンマーでも日給制というのは普通らしい。

そして、仕事開始の月のみ、日給制という形も明記した。

これで仕事を最初の数日で辞められても、問題をなるべく回避できる。

こうやって契約書は完成した。

そしてほかの書類の翻訳もほぼ完成した。


続きます。

 
当社について
ミャンマーで日本語学校を設立し、ミャンマーの若者達のために色々な道を探っています。

将来的には日本の若者とミャンマーの若者たちをつなぎ、
相互的に成長できるよう、ミャンマーで考察しています。

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