ミャンマー考察ノート

ミャンマーで起業、現状の考察

中国、シンガポールで合計14年過ごした後、現在ミャンマーで起業。
海外と日本をいかにうまく繋げ、相互的に良い効果をもたらせるのか、
語学教育や職業訓練の面などから考察していく

2016年11月

ミャンマーで起業までの道のり ヤンゴン2

ヤンゴンでシンガポール時代の友人から紹介を受けた日本人と会う。
ミャンマー人の若者に対して日本語とITのトレーニングをしている方だった。

彼から色々なミャンマーの情報を聞かせていただき、こちらでのビジネスの
難しさを知った。

まず人材がいない。
日本とミャンマーで活躍できそうな人材と100人以上と会って、その中でも削って
最終的には10名以下しか残らなかったということ。

人々は真面目ではあるが、仕事から逃げやすい、男性は僧になれば生活していけるということ。 

トレーニングできる人材が中々いないことなど。

トレーニング中の若者たちに会わせて頂いたが、とてもおとなしくまじめな印象が残った。

その日本人の方に、その後ティラワ経済特別区に連れて行っていただく。


ティラワ近くのコンドミニアム完成予想図(スターシティー)

スターシティー


2015年当時は工場もほとんどできていなく、洪水対策で土を盛り上げて作った
高台が広がっているのみだった。

ティラワ港では自動車がたくさん輸入されていた。

ティラワ港


ティラワ直通の鉄道の駅もある。

ティラワ 駅



その後、ダウンタウンに戻り、日本食レストランで休憩しているときに、
思わぬ人物と会う。


築地旬さん


その方は私がシンガポールにいるときに、一度お会いしたことがある方だった。
友人のご家族を介して、一度ご紹介を受けた方だった。

その方はミャンマーでコンサルタント業を中心に活動していらっしゃる方で、
この機会に、色々とミャンマーのお話を聞かせていただいた。

・ミャンマーの民度の高さ(識字率が9割を超えている)
・平均年齢の28歳という若さ
・民主化したばかりの国なので、ビジネスを知らない若者たちがほとんど、教える必要があること

上記3つに絞って深く教えていただいた。


ここで私は今までミャンマーで見てきたことと、今後のアジアでの展開、
やるべきことが見えてきた。

私はこの時、日本でビジネスのパートナーとなる方とある約束をしてアジアを周遊していた。
その約束とは要点だけまとめると

・アジアでビジネスをする舞台を見つける。
・海外を目指すチャンスを潰されている日本の若者たちの助けにつながるビジネスを見つける。

上記の2点だ。


続きます。

※この約束を交わした背景、詳しい内容などはまた別に書かせていただきます。






ミャンマーで起業までの道のり ヤンゴン1

バガンからヤンゴンへ、深夜バスを利用してむかう。

ヤンゴン行き深夜バス


ミャンマー人が7割ほど、そのほかはほとんどがバックパッカーという割合だった。
リクライニングシートで寝心地は悪くない。スナックも配られた。

バスのスナック

これで2000円ほど。

約10時間でヤンゴンに到着した。


ヤンゴン・ダウンタウン付近の第一印象は整然とした街並みであるということ。
町全体が古いが、しっかりとした都市の基盤が既に出来ている事が垣間見える。

街全体に熱気があり、道路沿いの青空市場には、新鮮な野菜が山ほど積まれている。

また車が多く、渋滞がひどいとも感じた。


当時、開店してまだ間もないというケンタッキーには行列ができていた。

ヤンゴン KFC



また日本の大阪王将も建築中だった。

ヤンゴン 王将

 

街を一通り歩き回った後、かねてから行く予定だったシュエダゴン・パゴダ へ向かう。

シュエダゴンパゴダロード

IMG_0926


歩き回っていると、大学生に声をかけられる。
拙い日本語だったが、一生懸命にガイドをしてくれる。

ミャンマーでは生まれた曜日で象徴する動物が変わるらしく、
私の生年月日から学生は土曜日だということを調べてくれ、
土曜日の守護動物であるドラゴンが祭られているという場所まで
案内してくれた。


シュエダゴン・パゴダ 土曜日コーナー


シュエダゴン・パゴダの大きな菩提樹、学生はこの菩提樹に色々な思い出が
あって大切にしているとの事。

菩提樹


学生には少しガイド料を渡し、お別れした。


続きます。


 

ミャンマーで起業までの道のり バガン2

炎天下の下、電動自転車で何時間も走り回っていたら、軽いめまいなど熱中症の症状が
出てきたので、近くの村の小売店にて休憩。

少し休んで回復後、村の女性達に村内を案内してもらうことになった。

バガン 村1


 
共同キッチン

共同キッチン

村人たちの昼食


食用の豚

豚



タナカ(化粧品)作成
タナカ3
 

民芸品作成現場
工芸品


織物

織物
 

老人たちの娯楽?であるタバコ

タバコ



バガンで感じたことは、 住んでいる人々がみなバガンを観光都市にすべく
一体となって動いているということ。

本当に何もない所だったが、英語にも不自由はなく、一人で旅するにも
不便を感じることがない都市であった。


ここバガンでは、“今後観光客がもっと増えていくだろう、もっと色々なチャンスが
めぐってくるだろう” と、感じている住人達の熱意の欠片に触れたことができたと思う。


パゴダから眺める夕日はとても綺麗だった。

バガン 夕日



続きます。




 

ミャンマーで起業までの道のり バガン1

バガンはとにかくパゴダ(寺院)しかないところだった。
見渡す限りパゴダばかりで、とても古いものから、比較的新しいものまですべてそろっている。

バガン1




ホテルでは電動バイクがレンタルできる。最高速度は時速40キロくらい。
免許の必要無く運転できる。1日8000チャット前後だった。

電動自転車


 
電動自転車でバガンを回る。
大体2-3時間もあれば主要なところはすべて回れるくらいの広さ。
道をゆっくり牛が横切る。

バガン2



この頃はミャンマーで洪水がひどい時期で、バガンでもたびたび道が浸水していた

バガン3


 
景勝地では、たくさんの子供達の売り子に会うことができる。
彼らは教育費を稼ぐために英語を勉強し、流ちょうな英語でガイドをしてくれたり、
綺麗な写真や花、お線香など、色々説明しながら売ってくれる。

売り子



売り子達に指示を与えていた女の子。聡明な子で、将来はガイドになる事を目指している。

IMG_0646



続きます。


 

ミャンマーで起業までの道のり マンダレー2


引き続きマンダレーで見て来たものについての記録を続ける。

2015年8月

マンダレーのショッピングセンター脇の駐輪場にてバイクタクシーの青年に声をかけられる。
彼(ボボ)との英語の会話を通して意思疎通はある程度問題ない事を感じ、彼の案内でマンダレー付近を
周遊することにする。1日バイクタクシーと彼の案内で30000チャット (2800円ほど)

マンダレーヒルからマンダレー全貌を見てみる。
自然とパゴダのみ。

本当に何もない。



マンダレーヒル



当時は洪水の影響で道のところどころが水没していた。

見るものは寺院(パゴダ)、仏像、自然の風景がほとんど。


ウーベイン橋 (木製の非常に長い橋)

ウーベイン橋


翡翠(ひすい)で出来たパゴダ

翡翠で出来た寺院


ひすい製の仏像

翡翠仏像



顔に塗るタナカ(化粧品)塗り場?
タナカ


タナカを塗って乾燥した後

タナカ2



仏像に金箔を張り付ける人々

金箔仏像


金箔 約100円で買える

金箔



ミャンマーの人々は仏教関連に関して本当にお金をかける。
仏教と生活が一体化している事を強く感じた。




ガイドをしてくれたボボ(当時28歳)は妻と娘と3人家族。
※本人に写真の了承を得ています

ボボ一家


バイクタクシーで日銭を稼ぐ。

部屋は1カ月50000チャット(4300円ほど) 6畳ほどの部屋。
月によっては部屋代を支払うのが厳しい時もあるという。

田舎では両親が農業を営んでいるが、家族で暮らしていくには
難しいので、マンダレーに来たとの事。


彼には少し多めのガイド料を払い、別れた。


ホテルに帰り、入口付近に立っているセキュリティーの若者と話す。
現在23歳、英語をマスターして、今度は日本語も覚え、日本で働きたいと語ってくれた。

何か役に立てるかもしれない、いつかミャンマーでまた会おうと約束し、
フェイスブックで友達になった。

翌朝、バガンに向かうバスに乗り込んだ。



続きます




当社について
ミャンマーで日本語学校を設立し、ミャンマーの若者達のために色々な道を探っています。

将来的には日本の若者とミャンマーの若者たちをつなぎ、
相互的に成長できるよう、ミャンマーで考察しています。

日本の会社
シーマイスター株式会社

ミャンマーの日本語学校
シースクール
※フェイスブックです